プレミアムアルバム「海のOh, Yeah!!」2018年8月1日(水)発売!

桑田佳祐インタビュー

2018年、サザンオールスターズとして新たに発表されたアーティスト写真は、メンバーが揉めてる様子が写されてましたよね(笑)。

ああいうのは照れ隠しもあるんじゃないですかね(笑)。でも、5年前の35周年の時は、みんなで海へ行って“希望の轍!”みたいな感じで撮ったと思うんですけど、“それも今更なぁ”ってことでね。あれならカメラの前でも恥ずかしくないですし、“なにカッコつけてんのよ!?”、にもならないだろうってことで。

“ケンカするほど仲がいい”、みたいな意味にも受け取れましたが…。

仲がいいもなにも、ここまでくるとサザンオールスターズはよく言う“家族”のようなものでして、そもそも“家族”というのはいろいろな要素で成り立ってますし、そりゃさまざまな事情もあったりするものなんでしょうが、再びこうしてやれてるっていうのは、これまでのことが間違いじゃなかったからなんだと思いますしね。

今年、サザンを再始動するにあたっては、“いきなり始動ではなく、リハビリも必要なんだ”と、先日お目にかかった時は仰ってましたよね。

6月のNHKホールもそうでしたが、ロック・イン・ジャパンの野外フェスとか、あとサザンオールスターズとしてのテレビ収録なども含め、予定はどんどん決まっていくなかで少し怖くもありましたのでね。まぁ怖いというか、今のサザンが今の気持ちで集まって音を出したら“どんな感じになるのかな?”というのが、やってみないと分かりませんでしたのでね。サザンとしては3年前の『葡萄』のツアー以来でしたが、3年というのは微妙な間でもあってね。その間にみんな60を越えてたりもしたし、そういう意味でも音を出してみない限り、バンドとしての今の気持ちというのがね、分からないところもあったのでね。

結局、どうだったんでしょうか…。

いざリハーサルが始まってみると、意外にもそんな不安は杞憂でしたね。 

やがて6月25日と26日に行われた40周年キックオフライブ「ちょっとエッチなラララのおじさん」の当日を迎えるのですが、今回のセットリストは40年間をダイジェストする意味もあったんですか?

ダイジェストといえばダイジェストなんでしょうけど、あんまり考えすぎるのもなんなので、みんなで演奏したい曲を選んでいったという感じでしたね。それで、1曲目を「茅ヶ崎に背を向けて」にしたのは、歌詞の冒頭も“ほんとうに 今までありがとう”だし、あと“♪チャーカラッチャーカラッ”っていうギターのイントロもね、ツカミとしては入っていき易いものですし、あの曲がいいかなぁーと思ってね。

“故郷を出て、東京の大学で出会った仲間を中心にバンドを組み、あれから40年…”みたいなことも含め、あの曲にしたのかなとも推測しましたが…。

それもありますよ。茅ヶ崎を出た。だから今があるんだな。みたいなことも、ちょっと考えました。しかもあの曲は、生まれて初めて作ったようなオリジナルですしね。

全キャリアに渡りいわゆる代表曲、ライブの必須曲、さらにご本人達がこだわりもあって選んだとおぼしきものも含んでましたけど、特に「SEA SIDE WOMAN BLUES」を演奏する際、桑田さん自身が「凄く好きな曲」と紹介をしてましたよね。

あの曲、アルバムでいえば1997年の『さくら』に入ってるんだけど、出来た時から気に入ってはいたんです。曲のタイトル自体はクリームの「アウトサイド・ウーマン・ブルース (Outside Woman Blues)」をもじっているんですけどね。でも「SEA SIDE WOMAN BLUES」っていわゆる“歌謡曲”じゃないですか? しかも江ノ島という地名を、まるで盛り場のように歌ってる。そんなものはあの当時、他には無かったんです。業界的にも僕のまわりでは、歌謡曲よりロックのほうがエラかった。ところが20年ほど経って世の中が一周してみると、僕らの若いスタッフのコが「あの曲、いいですね」なんて言ってくれたりするようになりましてね。時代が巡れば再びこういう曲が市民権を得る、なんてことも起こって…。

そういった、時を経て曲の受け入れられ方も変化することも汲み取りつつの選曲だったわけですね。

最初は予定に無かった曲だったし、「自分が好きな曲だ」なんて、MCするつもりもなかった。でも、思わずそんなことを喋ってしまったというか。

会場は両日とも、キャパ約3600の「NHKホール」でしたが、26日の模様はライブ・ビューイングを通じ、全国津々浦へ届きました。

お陰様で、大勢の方々に楽しんで頂けたみたいなんですが、やっている方は、大変でした。目の前にホールのお客さんがいて、その場でのライブに集中していると、ふとライブ・ビューイングで観て頂いてる人達が“サイレント・マジョリティ”になるじゃないけど、うっかり、その存在を忘れてしまう瞬間があるわけなんですよ。

確かに全国の映画館から、歓声が届く、というわけではないですからね。

しかもステージでは、イヤモニ(イヤーモニター)をしてるでしょ? 自分達の演奏や音のバランスを確かめながらやってたりもするわけで、そうなると、どこに集中してやればいいのか分からなくなったりもする。ただ今回は、ライブ・ビューイング用のカメラを別に用意してもらって、それを覗けば映画館のお客さんたち向けの発信ができると、そのことは分かってやれたので、非常に助かったんですけど。

ライブ・ビューイング会場でも拝見しましたけど、桑田さん、最後のほうでそのカメラに股間を押し付けたりしてましたよね? 映画館、ざわついてましたよ。

あははは。ありがたいことにライブ・ビューイングは何度かやってますが、映画館に来てくださっているお客さんには申し訳ないのだけどなかなか慣れるものではないですね。

桑田さんが「これはまさしくサザンだよなぁ」って実感する瞬間て、どういう時なんでしょうか? メンバーは演奏するだけじゃなく、コーラスしたりしますよね? そうしたことも、大切な要素なんじゃないかなぁって思うんですが…。

コーラスでいえば、特に(松田)弘ですよね。彼は手足を動かすドラムという楽器を叩きつつ、一生懸命、自分の(コーラスの)ラインを歌ってくれるんだけど、それを耳で覚えてて、凄いんです。昔より凄くなってきてる。こないだのNHKホールで言うなら、TIGERとか、あとギターの斎藤誠くんなどもコーラスを重ねて厚みを出してくれたりしているけど、サザンの枠ということでは、原坊、そして弘なんです。「いとしのエリー」のイントロの“Ah~,you should go back”のところがいい例で、原坊と弘の相性はすごくいいしね。もう40年前の曲なのに、そのコーラスを、今も彼は空で覚えてくれてたりします。だからソロとサザンの違いで言うなら、後ろを振り返ると弘の存在があるということ自体が、“すごくサザンらしい”要素のひとつです。もちろん関口(和之)や毛ガニにも、また別のものがあるんですが。

そういえばNHKホールでは、メンバー紹介が学生時代のエピソードだったりしましたね。

昨今のことは、あまり瑞々しい話題がないんですけど、お互い初対面のときとかは不思議と覚えてましてね。しかも素敵な記憶としてね。あとNHKホールに来てくれたお客さんは僕らを熱心に応援してくださってるファンクラブの方々が多かっただろうし、“多少ルーズな話、綺麗なオチがないような話でも、聞いてもらえるかなぁ?”という喋りやすさもあったんですけど。

大ヒットした『海のYeah!!』から20年が経ち、40周年を迎えた今年、8月1日にプレミアムアルバム『海のOh, Yeah!!』がリリースされます。

いやもう、20年前が“Yeah!!”で、今回は“Oh, Yeah!!”なんていうのは、正直なところ、偉大なるマンネリズムでもあるんですけど(笑)。

ジャケットも強烈なインパクトですね。なにやら海産物の婚礼の儀、という感じですが。

この“Oh, Yeah!!”というのは、“オヤー”と読んでもらうと、“海の親”、“産みの親”になるんでね。それでDISC-1は“Daddy”side、DISC-2は“Mommy”sideと、父と母ということになってまして…。ちなみに20年前の『海のYeah!!』の時は、“Sea”sideと“Sunny”sideのふたつに分けてました。ただ、あの時もそうだったんですが、曲を厳密にふたつのカテゴリーに振り分けたわけでもないんですけどね。

“Daddy”sideの1曲目は「TSUNAMI」ですね。そもそも曲順はどのように決めたのでしょうか。

僕だけが決めたわけじゃなくて、ディレクターが提案してくれたものを、みんなで話し合ったんです。「TSUNAMI」に関しては、やはり“曲がヒットする”ということには理由があって。テレビをはじめ、メディアのお陰だったりするということをつくづく感じますけどね。逆に4曲目の「イエローマン~星の王子様~」というのは、その意味ではあまり振るいませんでした(笑)。この40年間の後半の20年、今回出る『海のOh, Yeah!!』に入っている曲たちからは、そんなことも学んだ気はしますけどね。そんなことというのは、やはりこちらからメディアを介して仕掛けていったものは結果もハイリスク・ハイリターンであって、そうではないとローリスク・ローリターンというか…。だからって「イエローマン~星の王子様~」が、作品として劣っているかというと、そんなことはまったくないし、すごく好きな作品ですしね。

前半の20年と後半の20年では、なにが一番変化したと思いますか?

技術的なことではアナログからデジタルへ、みたいなこともあって、しかしそれは前半の20年間でもすでに始まっていたことですが、それより多分、サザンオールスターズとしての“世の中との向き合い方”なり“闘い方”がね、前の20年とその後の20年では違ってきてるんじゃないですかね。

“闘い方”、ですか…。

それこそ「勝手にシンドバッド」とか最初の頃は、世の中的にも歌謡曲が全盛でしたので、そこと一緒にされて「サザンも歌謡だよね」と言われないよう抗っていたところがあった。でも時代は変わり、歌謡曲という名のジャンルや文化が完全に後退したかのように思えました。音楽をやる人たちは“アーティスト”と呼ばれる人ようになって…。僕ら自身は“アーティスト”と呼ばれることは好きじゃないんだけど、抗う相手も以前とは違っていったんですよ。でも、改めて僕が言うのもなんですが、サザンオールスターズのこれまでの歴史の良いところは、たとえ時代が変わり、変化が絶えなくても、常に仮想敵を見つけつつ、何かに向かっていけてることだと思うんです。久しぶりに自分で聴いて思ったけど、「01MESSENGER~電子狂の(うた)~」なんていうのは、まさにこれまでとは違う相手に、違う闘い方で向かっていったものですからね。この20年で、サザンというものの裾野も広がった気もしてます。様々なジャンルにさらに寄せていってもサザンというか。「アロエ」とかもそうでしょうしね。

既に配信でリリースされロング・ヒット中の「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」も、まさに抗い、向かっていくというか、結果、多くの人を励ます歌になってますね。

世の中というのは理想ばかり追い求めても上手くいかないし、「仕方がないか」って、多少は目をつむらなきゃいけないこともある。だから矛盾やストレスを感じることにもなりますが、それでも自分が進むべき道を目指し、闘っている人達はいますからね。若い人達のみならず、自分と同世代も含め、そんな人達へのエールといいますか。そういう歌なんです。

現在放映中の三ツ矢サイダーの「三ツ矢andサザン2018『走り続ける情熱編』」では、楽曲「壮年JUMP」が話題になっています。どんなテーマの曲なんでしょう?

僕自身も十代の頃は、例えば洋楽ならデヴィッド・ボウイとか、憧れの存在が居ましてね。この曲は、そんな“アイドル”のことを想いながら、作った部分もあります。憧れの存在というのは、どなたにもいらっしゃると思うんです。でも、そうした存在が自分の気持ちを受け止めてくれたからこそ、やがて大人にもなれたというかね。ただ、僕なんかは“青春のモラトリアム”とでもいいますか、今でもその頃の気持ちと繋がっていたりもする。でも、そうじゃないと歌は作れないのかもしれない。

もうひとつの新曲、「北鎌倉の思い出」についても教えていただけますか?

実はこの曲の制作から2018年が始まったんです。久しぶりの原坊ソングですから、曲を書く立場として頑張ろうと思いましてね。原坊に書くとなると、ある種、作家としての別のスイッチが入るんですけどね。北鎌倉っていうのは、僕も高校に通っていた場所なんだけど、そこに鎮座している魂のような存在というか、木立のざわめきのなかに精霊達がいる、ではないけど、そんな雰囲気もある場所で、それを彼女が歌うことで、精霊達がこちらに語りかけてくるというかね。これは原坊の歌のシャーマン的な魅力とでもいいますか、もちろん彼女には、他にもいくつかの魅力があるんだけど、そのなかのひとつなんじゃないかと思うんです。まぁシャーマン的というか、原坊特有の歌手としての憑依体質というかね(笑)。

最後に桑田さんに、バンドを代表してサザンオールスターズの40年間を振り返って頂きたいのですが。

そこにサザンオールスターズという一本の道が見えているというより、その都度その都度、突貫工事で切り抜けてきた感覚でもあるんです。メンバー同士で助け合ったのはもちろんですが、自分達だけでやってきたわけではなく、まわりのスタッフが力になり助けてくれて。大事なところではひょいっと抱き上げてくれたりしたし、そういう意味では、関わってくれたみんなの歴史でもあるんですよ。

そういえばNHKホールの時、バンドは喜びを大きくすることが出来て、もし辛いことがあれば、それを分け合い、小さくすることが出来ると言ってましたよね。

苦しいこともあったし、みんなで頭を抱えて、どうしょうかー、みたいなことも、特に若い頃は、たくさんありました。でもそういう時も、グループなんだし共同責任というか、ひとりで背負うというわけではなかった。もちろん嬉しいことも一杯あったし、嬉しい気持ちはリフレクションするというか、メンバー同士で口に出さずとも心の奥底で反射し合うんですよね。「これはヤバいぞ」とか。「桑田が困っているならみんなで協力し合おう」とか。それがチームの良さですね。最近ひとつ、僕が唱えていることがありまして、他でも言ったかもしれないですけど、「いかに悲しく辛い時期でも音楽にはそれを乗り越える力がある」ということなんですよ。

この発言は太字で載せておくべきですね。

もちろん、こんなこと言ってられるのもサザンオールスターズを応援してくださる方々がいてくれるからですし、その幸せを感じつつの40年ですけども。

来春にはドーム&アリーナ・ツアーが予定されています。

もうこれは、98パーセントのマンネリズムとですね、残りの2パーセントで、いかにお客さん達の予想を裏切るかという、そこでどう突っ込んで頂けるかということも含めて。まぁマンネリズムというか、ツンデレといいますか、そんな感じでいこうと思ってるんですけども(笑)

なぜその比率なのかが非常に気になりますが、具体的にどんな感じなのかは、後日、教えてくださいませ!

インタビュー・文=小貫信昭